小さき声のカノン―選択する人々

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映画『小さき声のカノン』をご覧くださった皆様からメッセージが続々届いてます!

高畑勳(アニメーション映画監督) | 中川敬(ミュージシャン/ソウル・フラワー・ユニオン) | GAKU-MC(ラッパー) | 林海象(映画監督) | 丹下紘希(映像監督/アート・ディレクター/人間) | 小出裕章(京都大学原子炉実験所助教) | 堀直也(エコサーファー代表) | ゼロノミクマ | 渡辺一枝(作家、エッセイスト) | 髙坂勝(Organic Bar たまにはTSUKIでも眺めましょ 店主) | 小紺有花(麹料理研究家) | 金森俊朗(北陸学院大学教授) | 想田和弘(映画作家) |
藤田和芳(大地を守る会代表) | 関口祐加(映画監督) | 落合恵子(作家、クレヨンハウス主宰) | もんじゅくん(高速増殖炉の非公式ゆるキャラ) |
後藤正文(ミュージシャン) | 俵万智(歌人) | 三宅洋平(ミュージシャン) | 山村浩二(アニメーション作家) | 岡田武史(FC今治オーナー)
舩橋淳(映画作家)綾戸智恵(ジャズシンガー)田中優(環境活動家/未来バンク事業組合理事長) |

(順不同/敬称略)

 

「小さき声」に耳をそばだてる

「そりゃそうだとしてもね、生活していかなきゃならないんだから」。
こんな言葉を何度聞いたことか。
命がなくなってしまったら生活も何もないんだから安全な場所に暮らすか、
せめて対策してほしいと思うのだが実現しない。
人々の意識には二つのレベルがあって、頭で考える世界と生活からの実感がある。
いくら頭で放射能の危険性を理解したとしても、生活レベルの改革につながらない。
「周囲の人たちから浮いてしまう、変人扱いされる」
といった『空気』を読むレベルのことが、生活レベルの実感なのだ。

 そして周囲の無理解の壁の中で、母はぽつりと言う。
「この子だけは守らなくちゃ」と。

 なぜ母がここまで重い覚悟をしなければならない?
いったい誰がそんな『空気』を作ってしまったのか?

 「愛」という言葉の反対語は「無関心」だという。
その無関心が人々の上に重くのしかかっている。
理解されないから大きな声で言えない。
関心すら持ってもらえないから一人で決めなければならない。
その孤独さから過敏になってしまったとしても、誰が彼女を責められるだろう。

 その小さな声を拾い上げた映画ができた。この無関心を装う時代に。
耳をそばだてて聴いてほしい。無関心でなくなるから愛が生まれるのだ。

―田中優(環境活動家/未来バンク事業組合理事長)

 

“誰かが守ってくれる”から突き落とされた母達が「そんなら」と立ち上がったこの映画は、
見て感じるんや無く見たそれぞれの立場でやれるべき事を見つけ動きださな、
と気づかしてくれる。さぁ私は・・・・・

―綾戸智恵(ジャズシンガー)

 

国が国民の命を最優先に考えず、
末端の方々には犠牲になってもらうという政策を押し進める”裏切りの時代”において、
僕たちはどうやって生きてゆけば良いのだろう?
迷いながらも、自分の意志で道を切り開こうとする福島のお母さんたちの生き方は、
国境を越えて強く響くエネルギーに満ちている。
民主主義があらゆる局面で機能不全に陥っている現代、
彼女たちは僕らの未来へ向けた行動規範を指し示している。
チェルノブイリと福島を繋ぐことで、思ってもみないことが見えてきた。
それは原発事故だけではない、僕たちの生き方の主体性というやっかいな、
そして最も魅力ある問題だ。

―舩橋淳(映画作家)

 

真実は何か、権力には勝てないのか考えさせられました。
今も福島から汚染水が海に流れています。
近くに子供達が暮らしています。
マスコミも誰もが見ないふり。
そういまがそこそこなら。先を考えられなくなっている我々。
地球は子孫から借りているもの、これはアメリカインディアンの中で伝え続けられている言葉です。
先祖から受け継いだものではなく、未来に生きる子供達から借りているもの。
借りているものは、汚したり傷つけたり壊してはいけない。

―岡田武史(FC今治オーナー)

 


迷いながらも生きることと、命を繋いでいくことに目を背けず向き合う人々の、
現在進行形がここに記録されている。
見終わった後からゆっくりと心が揺さぶられ、こみ上げてくる熱いもの。
3.11の傷は深い。

―山村浩二(東京藝術大学大学院教授、アニメーション作家、絵本画家)

 

鎌仲ひとみ監督の過去作、『ヒバクシャ』『六ヶ所村ラプソディー』『ミツバチの羽音と地球の回転』
僕にとっては、これらの作品を観た事が原発立地へ足を運ぶ切っ掛けになった。
311以前、鎌仲作品に目を覚まされて原発について考え始めた人は多いと思う。

そして起るべくして起ったかのような原発事故。作るべくして鎌仲さんは『小さき声のカノン』を作った。
こういう作品を作らなくてはならない未来を避けたくてこれまでの作品を作ってきたが、
事故が起きてしまった後の希望をいち早く見出せるのもこれまでの視点があったから。

大きな政治や経済の話の中で、福島で生活を営むお母さんたちの小さな声に耳を澄ましていきたい。
大切な事が聞こえてくる。
放射線への恐れから先の世界に生きる母と子たちの姿を描いたこのドキュメンタリーが、
国内はもとより、日本で今起きている現実として世界に伝わる事を願っています。

―三宅洋平(ミュージシャン)

 

同じように悩み、迷ってきた母親の一人です。
現実は厳しいけれど、お母さんたちの連帯から生まれる希望が描かれていることに、励まされました。
この映画を通して、さらなる連帯が広がることを願っています。

―俵万智(歌人)

 

科学が立証していないことって案外多いですよね。
はっきり言えば、この世界のほとんどを僕たちの科学は知らない。
また、いつでも科学者が僕らの味方だとは限らないのは、
原発事故以前の、原子力に携わる科学者たちの振る舞いが
端的に表していると思います。

僕はこの映画が、たとえばどこかの家族を、仲間たちを、地域を、
故郷を、真っ二つに分断しないための助けであることを願います。
だってもう、僕らは十分に諍いあっているじゃないですか。
不安に思う母親を嘲笑することも、故郷を立て直そうと必死になっているひとたちに
外側から辛辣な言葉を投げかけることも、もう止めて欲しい。
そう願っている人は僕だけではないと思います。

僕はこの映画を観て、正直に言って、
どんな言葉を発していいのか分かりません。
でも、もう二度と、こんな思いを誰にもさせたくないって、
強く思います。

―後藤正文(ミュージシャン)

 

4年が経ち、
「たいしたことなかったね」とでもいうかのように
事故の影響を軽視する空気を感じています。

希望を持つことはとても大切ですが、希望的観測ではなく
きちんと事実をよりわけて物事を見つめていくことが大切だと
この映画をきっかけにあらためて考えました。

―もんじゅくん(高速増殖炉の非公式ゆるキャラ)

 

立ち止まろう、しばし。そうして耳を傾けよう。
あなたの内の、「小さな声」に。あのひとの内の、「小さな声」に。
喪失と悲しみと憤りの中から生まれた「小さな声」たち。
猛々しい「大きな声」と確かに対峙するためにも。
何よりも、自分自身としっかりと結びつくためにも。
いまはその言葉さえ使うことにためらいを覚える「希望」を
自らの内に紡ぎ出し、誰かと繋がるためにも。

―落合恵子(作家、クレヨンハウス主宰)

 

政府が何と言おうと、行政が何と言おうと、学者が何と言おうと、
母たちは子どもを内部被ばくから守らなければならない。
この映画は、そんな母たちの諦めない闘いにより添い、見事にプランB案を提示する。
母たちの小さな声のカノンが、この映画でクレッシェンドになることを信じています。

―関口祐加(映画監督)

 

この映画を観て、日本はなぜもっとチェルノブイリから学ぼうとしなかったのかと思う。
チェルノブイリの子供たちに起こったことが、日本の子供たちにも起こりはじめている。
子供を守ろうとするのは、いつも母親たち。
理屈を言って行動しない男たちより、
命の危険を感じ取るお母さんたちの直感こそが、子供たちを守るだろう。

藤田和芳(大地を守る会代表)

 

国や行政が子供たちを守らないなら、自分たちで子供たちを守るしかない。
そう思って動き出したお母さんたちが本当に凄い!
もろいのに強い。小さいのに大きい。犠牲者でありながら救済者。
とてつもない逆境の中だからこそ生まれた、人と人のつながり。可能性。
普通なら相反した色んなものがごっちゃになって、カノンを作り出している。

―想田和弘(映画作家)

 

ふるさとを離れた保養地には青空の下に草原が広がっていた。
初めて裸足で駆けた幼子は、「草がチクチク痛かった!」と笑顔で言う。
映画「小さき声のカノン」の印象
的な一場面。
足の裏が痛い、草が痛い、でも走りたい、寝そべっていたいという感
覚。
子どもたちにとってごく当たり前の感覚すらこの国は奪うのか、と思っただけで
泣けてきた。
怒りがこみ上げてきた。
同時に、この感覚を育む大地をひとときでも与
えたいと苦闘する母たちの選択に、
「小さき声」のままにしておくものか、と突き動
かされた。
映画は、決して奪ってはならない笑顔とそれを守るささやかだが大きなつ
ながりを
あなたの胸に熱く刻む。

金森俊朗(北陸学院大学教授)

 

食がいかに大切か、その事をハッキリと認識出来る映画です。
内部被ばくと言う脅威に立ち向かう
被災地の方々の戦いに胸が熱くなります。
食に不安があり、食に悩み、食に健康が脅かされている。
直面しているのは辛く悲しい現実ですが、希望もまた食にあります。
食を通して絆を深め、食によって健康を取り戻すことが出来る。
善くも悪くも食には人生と社会を変える大きな力があるのです。

―小紺有花(麹料理研究家)

 

知ってると思っていた。
が、知っていなかった。

この国は知らぬ間に絶望へ人を導いた。
しかし、絶望を希望へ、希望を実行へ、
この映画は観る人を奮い起こすだろう。

感動で泣きたい人を連れだって行こう。
知らないという人を連れだって行こう。
知ってるという人を連れだって行こう。

未来は選びとるものである。

髙坂勝(Organic Bar たまにはTSUKIでも眺めましょ 店主)

 

先日は、素晴らしい映画に出会えました。
ありがとうございます。
声を限りに「原発反対!」を訴えるのも必要だけれど、
いま私たちは既に汚された大地と空気、汚染水が流れ込み続ける海、
という環境に生きている。
そんな絶望の淵にいながら、子どもたちを守りたい、生きる命を大切に守り育てたい、
そんな願いがかすかな光になって、手を結び合うことで未来への希望を紡いでいく。
多くの人に見て欲しい!と思いました。

子どもたちの健やかな成長と、未来を祈ります。
福島に通い続ける私も、この映画から励まされました。
この映画を作って下さったことへ、心からの賛辞を捧げます。
ありがとうございます。

―渡辺一枝(作家、エッセイスト)

 

どのお母さんも子どもを守るためにいっしょうけんめい。
あれがだめ、これがだめ、じゃなくて
「それでいいんだよ」って言ってもらえた気がして
あったかいきもちになりました。
この国の人間たちみんなが、このお母さんと子どもたちに手をさしのべるまで
ボクはいっしょにがんばるくま。

―ゼロノミクマ

 

メディアも政治も経済も裏の社会で複雑に絡み合って、
全く真実が見えてこない今のこの世の中で、
「この情報だけは信じられる」「この情報こそ、本当に国民が知りたかった情報だ」と思えた、
とても真摯で温かい映像でした

―堀直也(エコサーファー代表)

 

福島の汚染地で、背負いきれないほどの重荷を背負わされて生きるしかない人たち。
それでも、立ち上がって、一人ひとりが自分にできることを始めていく。
社会が変わるまでにはまだまだ長い歴史が必要だろうと私は思います。
でも、私自身も挫けずに、自分にできることを続けようと思います。

―小出裕章(京都大学原子炉実験所助教)

 

小さくてとても大きな作品です。
僕も家族で自主避難しています。
子どもを心配して揺れ動く心に自分を重ねて涙しました。
正義を掲げても傷つくし、自分自身をなかなか肯定出来ない。
やっとのことで振りしぼった勇気を使えば孤独になります。
だけどお母さんは強い。ただのお母さんだから強い。
政治家も企業人もただのお母さん、お父さんになったらいい。
誰かを傷つけやしないかと行き場を失った優しさが
日本にはいっぱいごろごろ転がってるはず。
そんな気持ちを集めて、大きなうねりとなって社会を揺り動かす力になる
「小さき声のカノン」の夢をみんなで見たいですね。

―丹下紘希(映像監督/アート・ディレクター/人間)

 

福島というより、“日本人”を描いた作品。どっちがいいのか悪いのかではなく、
問題がこれからもずっと続くということを描いている。
普通は“ハッキリしたこと”をやりたくなるのに、初めて“ハッキリしないところ”に踏み入った。
これはすごいところに鎌仲さんが入ったな、と。
何か道はある、ということを指し示す映画。

―林海象(映画監督)

 

子供を持つ一人の父としてこの映画を見た。
正解を求めて戦い続ける母親達の歩み。
正解は何だろう?君ならどうする?
この映画の感想を食卓のテーブルに載せて、大切な人と未来について話をして欲しい。

―GAKU-MC(ラッパー)

 

鎌仲ひとみ監督の新作『小さき声のカノン』は、
福島とチェルノブイリに住む親たちの不安、苦悩に端然と向き合い、
子どもたちの保養の大切さを説く、渾身のドキュメンタリー。加害者はどこにいて、被害者はどこにいるのか。
感じるところはさまざまだろうが、あらゆる立場の人々に観てもらいたい。

中川敬(ミュージシャン/ソウル・フラワー・ユニオン)

 

被曝線量がどのくらいでどの程度の健康被害が出るのか、個人差もあり、確実なことは誰にも言えない。しかし、原発事故後、国が許容基準を大幅にゆるめたことはまぎれもない事実である。これを理不尽と考え、心から心配し、放射能の影響から子どもを守るために、ほとんど補償も援助もないまま被曝地から避難する母親たちがいる。被曝地に留まって自主的に除染を続けつつ、食物くらい被曝していない地域のものを子どもに与えたい、また、被曝していない地域で子どもを一時的にでものびのびと「保養」させたい、――そう考え、行動する母親たちがいる。そしてそれを支援する人々がいる。遠隔地から野菜を届ける人々。保養する子どもたちを自分たちの良い環境に受け入れる人々。ベラルーシで着実な成果を上げている「保養」は、日本でも子どもたちの被曝量を確実に引き下げるのだ。

この映画にはそういう選択をした人々が描かれる。ベラルーシに学んで、でもこちらはやむをえず自主的に、行動を起こした母親たち。しかし、収入をもたらす夫、子どもの父親である夫との暮らしはどうなるのか。賛成や協力が得られるのか、私は心配になる。また、低線量に不安をつのらせるより、むしろ忘れた方がかえって前向きに生きられるのではないかと考える人の気持ちもわかる。いまや福島では、行政による除染後の被曝地を離れようとする人々や、その地の食べ物を食べたがらず、風評被害をみずから生みかねない人々を、“非国民”扱いする空気さえあると聞く。

けれども、なぜベラルーシでは国ぐるみで出来ていることが日本では出来ないのか、国や自治体は人々の“愛郷心”につけ込んで、無策を正当化しようとしているのではないか。私はやはりそこにこそ最大の問題があると感じ、映画の中の、勇気を持って立ち上がり、多くの人とは別の、希望の道をみずから切り開こうとしているごく普通のお母さんたちのけなげな姿に、心からエールを送らずにはいられなかった。頑張れ!

―高畑勲(アニメーション映画監督)

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