「もんじゅくんのズバリ聞きますだよ」シリーズに、飯田哲也さん登場!

2013.10.04

私の大好きな高速増殖炉もんじゅの「非公式」ゆるキャラ もんじゅくんの連載ブログ 「もんじゅくんのズバリ聞きますだよ」シリーズに、
映画「ミツバチの羽音と地球の回転」に出演された飯田哲也さんの貴重なスウェーデン留学時代のお話が載っていたので、ご紹介させていただきます。過去から現在に至る飯田哲也さんの長編インタビュー、読みごたえありです!

ref_l

http://blogos.com/article/71045/

(本文から一部抜粋)

ムラを離れて、脱原発にふみきったスウェーデンに留学

飯田:電中研にいた時期の終わりごろから、故・高木仁三郎さん(物理学者。専門家の立場から原発を批判、地震による危険性を予見していた)に会ったり、当時立ち上がったばかりのグリーンピースジャパンの人に会ったりしていました。
僕らは「しらけ世代」と呼ばれていて、じっさいそれまで冷めた感じで生きてきてたんです。でも電中研にいるときに、「これはちょっとまずいな。自分のやりたい仕事を自分でつくろう」と思うようになって、最終的にスウェーデンのルンド大学にいくことにしました。
もんじゅ:どうしてスウェーデンだったんですか?
飯田:スウェーデンはその10年前に、国民投票で「原発をやめる」ということを決めていたんです。やめるシナリオをリードしたのがルンド大学にいたトーマス・ヨハンソンという教授で、そこをベースに勉強しようかと。まだ当時は原発を閉鎖できていなくて、僕がスウェーデンにいる間に1基、そのあとでもう1基閉鎖されました。
そのころは「温暖化政策」という言葉もまだあまりいわれていなかった時代です。そんななかで、人権、ジェンダー、福祉などいろんな面で国際的に注目されていたスウェーデンが、原子力をやめる方向にシフトした。それで興味を持ったんです。
スウェーデンでは原子力がどう位置づけられていて、あたらしいエネルギー政策がどうなるのか。僕のそれまでの技術者という視点ではなく、政治や社会、政策という視点からスウェーデンを眺めてみようと思いました。
もんじゅ:単純にエネルギーのことだけではなく、それが社会のなかでどんなポジションなのか、ということも含めて勉強にいかれたわけですね。

発送電分離、固定価格買取、炭素税…すべて1990年が転換点

飯田:90年代のヨーロッパというのは、エネルギー環境革命の10年間です。なかでもとくに1990年がエポックメイキングな年だった。まず、IPCC(地球温暖化について研究する政府間機構)が発足して、その2年後にリオサミットが開催されて地球温暖化防止条約ができました。
フィンランドで世界初の「炭素税」(環境保全のために排出する二酸化炭素に税金を課す)が実現したのも1990年です。92年までにスウェーデン、ノルウェー、デンマーク、オランダなど他の国々もつぎつぎと導入しました。
おなじく1990年、イギリスのサッチャー政権が世界初の発送電分離をおこない、それがノルウェー・スウェーデンにもひろがる。電力市場改革も90年からはじまったんですよ。
もんじゅ:1990年にほんとにいろいろ起こっているんですね。覚えきれない(笑)!
飯田:まだありますよ(笑)。ドイツで超党派の議員連盟が自然エネルギーの固定価格買取制度を導入したのも1990年。そこからドイツの風力発電はすごい勢いで増えました。
そのころ僕はスウェーデンにいたので、ヨーロッパ社会がダイナミックに変わっていることを実感できました。ラッキーでしたね。
自分が経験してきた日本の原子力政策の現実は、暗澹たる状況でしたから。そのウラの世界で、国と電事連と企業とを「詭弁のアクロバット」でつなぐような仕事をしていて……。
もんじゅ:大手町からヨーロッパにいかれたら、ずいぶん世界が違って見えたんですね。
飯田:そうなんです。
デンマークでは風力協同組合がたくさんできて、みんないきいきと地域の風力発電を増やしていた。スウェーデンのベクショーという都市では、地域の熱供給をバイオマスエネルギーに切り替えたり。サムソ島では自然エネルギー100%を約束して、それに向かって進みだしていたし。こういうことが現実に起こりえるんだ、と希望を持ちました。

欧州で実感したのは、日本とのデモクラシーのあり方の違い

飯田:そういうことを経験して、日本とヨーロッパとでは、エネルギー政策における「デモクラシーのあり方」がぜんぜん違うな、と思ったんですよ。
もんじゅ:そうですね。意思決定の方法とか、話しあいができる土壌だとか、透明性とか、情報公開とか。技術の面というよりも、民主主義のありようが違うんでしょうね。
飯田:で、それを日本にも持ちこもうと思った瞬間、自分のやるべき道のりが見えてきた。
92年の地球サミットのあと、日本でも「対立から共生へ、議論から対話へ」という流れができました。それまでエネルギー関係のNGOというと「○○反対運動」しかなかったんです。反対するのはもちろん大事なんだけど、国は中身のないことをやっているんだから、市民のほうで現実に機能する政策をつくらなきゃどうしようもない。
もんじゅ:とはいっても、ふつうの市民が政策を提案するのには、なかなか困難がありますよね。
飯田:リオサミットにいったメンバーが「市民フォーラム2001」というNPOをつくったんですけど、それにすこし参加させてもらって、いっしょにやりはじめた。それを足場に自然エネルギーの固定価格買取制度を日本でも実現しようと、法案のたたき台をつくりました。これが1998年のことですが、長い時間を経て、菅さんが総理だった時代にやっと成立したんです。
もんじゅ:1998年に原案をつくって、2011年に成立……! そんなに時間をかけてできた制度だったんですね。菅さんが必死で成立にこだわっていたのも、わかります。
飯田:あんまり長い道のりなんで、アメリカのジョージタウン大学の研究者がやってきて、うちの事務所の壁一面にその歴史を書いたことがありました(笑)。
もんじゅ:年表ができてしまうくらい(笑)。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上、抜粋していますが、このシリーズ、たいへん興味深い記事ばかりです。ゲストが坂本龍一さん、管直人元総理、城南信金吉原理事長、あまちゃんの作曲家、大友良英さん、とすごく豪華です!
タイトルを見ただけで、すぐ読みたくなってしまいますね!そして、ズバリ聞いてるもんじゅくん!
その可愛い風貌からは想像のできないほど、エネルギーはもちろん、音楽や文学にも造詣の深いもんじゅくんに、いつもほれぼれしてしまいます。
秋の夜長に一読されることをおすすめします!↓
 
もんじゅくんの記事一覧
http://blogos.com/blogger/monjukun/article/
坂本龍一さん、どうして音楽家なのに、脱原発なんですか?
http://blogos.com/article/53085/?axis=b:36649
菅さん、原発事故の対応のなかで、東電や保安院などいちばんイライラしたことってなんでしたか?
http://blogos.com/article/57889/?axis=b:36649
城南信金さん、「金融機関として審査すると、原発は不良債権」ってホントですか?
http://blogos.com/article/65123/?axis=b:36649
じぇじぇ!大友さん、『あまちゃん』は2011年夏の福島から始まっていた、ってどういう意味ですか?
http://blogos.com/article/67859/?axis=b:36649
 
もんじゅく~ん!
 
(staff コハラ)