Shing02さんが、鎌仲監督との出逢いと「小さき声のカノン/Little Voices from Fukushima」へのサントラ制作について語る 

2014.08.20

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http://e22.com/blog/
https://www.facebook.com/ShingoAnnen
言葉をとても大事にする唯一無二のアーティスト。
鎌仲ひとみ監督の「ミツバチの羽音と地球の回転」(2010)のパンフレットに書かれたShing02さんのメッセージは、いまも心に残ります。
 
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遅かれ早かれ、変化の波はやってくる。満ち引きのようにやさしいさざ波かもしれないし、突然、地震とともに押し寄せる津波かもしれない。 その波に呑まれるか、乗るか。ただ、乗るといっても容易ではない。波の動きを遠くから読み、全力で漕いで勢いをつけて、波の先端でバランスを取りながら舵を取るのだ、誰だって初めてのトライは失敗する。初めから完璧な人などいないからだ。試行錯誤こそ、技術の体得になる。
鎌仲ひとみ監督は、時代の波乗りを撮っている監督だ。それは、難しい波でもあるし、もちろん監督自身が波に乗っているからこそ、カメラで追跡することができる。浜から傍観しているだけでは収めることが無謀なシーンがスクリーンに溢れている。
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ミツバチの羽音と地球の回転
http://888earth.net/top.html
サントラ盤
http://888earth.net/cddvd.html
その生き方のスタイル、知識、センス、感性。
いろんな面で、鎌仲ひとみ監督は彼に全幅の信頼を置いています。
「ミツバチの羽音と地球の回転」「内部被ばくを生き抜く」に引き続き、 「小さき声のカノン -選択する人々」のサウンドトラックも、Shing 02さんにお任せします。
どんな音を聞かせ、どんな歌詞を書いてくださるのか。
完成が、本当に楽しみです。
先日「小さき声のカノン」の試写に立ち会ったShing02さんが、ブログ にこれまでの経緯と、クラウドファンディングの応援、そして作品の感想を綴ってくださっています。ぜひぜひ、お読みください。
 
+*+* Shing02さん から +*+*
鎌仲ひとみ監督「小さき声のカノン」のサントラ提供、これまでの歩みについて、感想文を書きました。
http://e22.com/blog/?p=1380
皆さんはどう思いますか?
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福島とベラルーシの子供達や母親に焦点を当てた鎌仲ひとみ監督の最新作、 「小さき声のカノン」のサントラを制作中です。
/works/works-next/
クラウド・ファンディングでサポートしてくれた方は、3000円/$30からShing02プロデュースのサウンドトラック(デジタルダウンロード)が含まれています。英語版トレーラーにも登場するピアノ楽曲や、書き下ろしのラップ曲も含まれます。このようなプラットフォームは単に資金集めとしてではなく「関心を関係に変換する」ことによって、テーマを身近にする有効的な方法だと思っています。
日本語 (Motion Gallery)
https://motion-gallery.net/projects/littlevoicecanon
English (Indiegogo)
https://www.indiegogo.com/projects/little-voices-from-fukushima
さて、鎌仲ひとみ監督とは「ヒバクシャ ―世界の終わりに」(2003) で 偶然にも英語字幕を手伝ったことからご縁が始まり(そのきっかけは森住卓さんのイラクの子供達の写真展を観に行ったことでした)、「六ヶ所村ラプソディー」(2006) の時はさほど親交がありませんでしたが、 同時期に自分が坂本龍一氏との「STOP ROKKASHO」プロジェクト
http://stop-rokkasho.org/
を始めた事により「僕と核」を発表し、
http://e22.com/atom/
そこから「ミツバチの羽音と地球の回転」(2010)、震災後の「内部被ばくを生き抜く」(2012)の音楽を担当させて頂きました。
「小さき声のカノン」(英題:Little Voices from Fukushima) は、2011年の福島第一原発事故後に放射能汚染の中で生活する母親たち、そしてその25年前になる1986年のチェルノブイリ原発事故以降のベラルーシではどのような事象と対策があったのかが、現地ドキュメントによる人間模様を通して伝わって来ます。
被曝に関する基準値や価値観は、環境問題のみならず、深刻な社会問題です。ひとつ重要なのは、当然ながら汚染は県境で決まる訳ではありません。福島県は都道府県三位の広大な土地ですし、県内には東京近郊よりずっと綺麗な場所が多くあります。ですから、事故の日から世界的に「フクシマ」と言う響きが「チェルノブイリ」に匹敵するイメージとなったことを変えることはできなくても「風評」は人々にとって多大な経済的、精神的ダメージになっています。三年以上経過した今でも、繊細なトピックですし、触れることはお互いに勇気のいる行為です。
しかしながら、現在進行形の土壌・大気・海洋汚染の影響をいくら「風化」させても、現実は変わらず、時間をかけて表面化します。(ましてや、福島の処理と、原発の是非を同列に語ることには無理があります)不安と軽視が拮抗する中、現在のベラルーシを25年先の日本の未来と想定した場合、「何をすれば影響を最小限に抑えることができるのか」と能動的に動くことが出来ると思います。全く同じ状況ではなくても、事故の状況や規模、人口密度など日本の方が深刻な面も沢山あることから、放射能汚染の影響を語ることは恣意的な誘導ではありません。健康は統計学で守ることはできないし、人生のリスクは確率論で片付けるべきでしょうか。
本作品は、人々がどのように感情的なフィルタを通して対処して来たのか、同時に医学的な立場から自分たちを守って来たのかが、優しく描かれています。電力問題を取り上げた「ミツバチ~」と同様に、日本の枠組みから外れた知見を取り入れることは、非常に重要です。それは空と海に国境などなく、大規模な変化が著しい星に住む地球市民として、まず知ること、そして関心を持つことが第一歩なのではないでしょうか。
peace
Shing02
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FBで、 最後に「みなさんはどう思いますか?」と読者に投げかけています。
 
私たちは、いま 問われています。
「あなたは、どんな生き方を選択しますか?」と。
 
staff コハラ